11月の終わり。ここ北海道では雪が降るのは当たり前だ。
とはいっても、まだ11月。当然、気温によっては雨が降ることもままある。だけど、そんな日もやっぱり夜には雪になることが多い。
そんな天気予報を見た後の会話は要注意だ。
無意識に口から出た言葉で、とんだ恥をかくことになる。
外を見て「うわー、今日は雨か」と誰かが言う。
「あ、でも夜には雪に変わるんだって」と、思わずさっき天気予報で見た情報が口から出る。
「おまえは達郎か!」
そのツッコみで、とんだ恥をかく。
知らず知らずのうちに山下達郎の「クリスマス・イブ」の世界をなぞってしまった自分が恥ずかしい。
この時期、至る所から山下達郎の「クリスマス・イブ」が聴こえてくる。
時代は令和に変わったってのに、その風景は変わらない。もっとも、クリスマスソングは山下達郎の「クリスマス・イブ」の「一強」ではない。
マライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」がそうだし、竹内まりやの(夫婦して!)「すてきなホリデイ」がそうだ。さすがにワムの「ラストクリスマス」が聴こえてくることはなくなったかな(笑)
とは言え、時代が変わってもこの辺の曲は強いよね。
新しい、例えば令和生まれのクリスマスソングもないことはないのだろう。(1曲も知らないけど)
しかし、音楽の「聴き方」が変わった今、だからYouTubeなど無料で聴くのが基本となった今、音楽の趣味趣向は多様化した。要するに国民の多くがテレビから流れてくる「同じ曲」を聴くことはなくなったということだ。だから国民的ヒット曲は生まれづらくなったのだろう。
たぶん10年後も20年後もこの時期になれば山下達郎の「クリスマス・イブ」やマライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」が聴こえてくるに違いない。
たぶん10年後も20年後もこの時期になれば山下達郎の「クリスマス・イブ」やマライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」が聴こえてくるに違いない。
春になれば森山直太朗の「さくら(独唱)」だろうか。それともいきものがか「SAKURA」だろうか。
どの季節、シチュエーションにおいても「強い曲」はある。しかし、なかなか「一強」にはなれない。
長い間「一強」の座を譲らなかった2月14日に聴こえてくるあの曲、そう、国生さゆりの「バレンタイ・キッス」も最近ではパフュームの「チョコレート・ディスコ」とその座を二分する状況だ。(オレ調べ)
しかし1曲だけ、誰もが知っている「一強」の曲がある。マラソンの応援の時に聴こえてくるあの曲だ。
ZARDの「負けないで」だ。
この牙城は揺るぎない。他の追随を許さない。
もちろん、あとに続く曲はある。例えば爆風スランプの「ランナー」などだ。しかし、それはあくまでも「二番手」だ。(オレ調べ)
マラソンの応援歌といえばZARDの「負けないで」に決まっている。
やっとマラソンの応援の話につながったわ(前フリなげーよ!)
しかし、ZARDの「負けないで」が本当に「応援」になるかはまた別の話だ。
これについては、過去に書いた記事があるので時間があったら読んでみてほしい。時間があったら、だよ!同じようなこと書いてるから・・
ZARDの「負けないで」の効力は置いといて、マラソンの時の応援はうれしい。力になる。
だから、オレもできるだけ応援したい。
「どこで」「どんな風に」応援するのが正解なんだろう。
マラソンの応援をするのは結構むずかしい。
その「範囲」は長く広いからね。フルマラソンなんていったら、そのコースは42.195kmもある。その中の「どこで」「どんな風に」応援するのが効果的なのか。正解なのか。
その「範囲」は長く広いからね。フルマラソンなんていったら、そのコースは42.195kmもある。その中の「どこで」「どんな風に」応援するのが効果的なのか。正解なのか。
これはなかなか難しい問題だ。
結論を言えば、正解はない。というより応援に不正解はないのではないか。
どんな形であれ、応援は応援だ。きっと力になるはずだ。それが、たとえ「祈り」であったとしても。
オレが好きな応援は、あ、「される側」としてね、和太鼓や吹奏楽での応援だ。
ドンドコドンドコ鳴り響く和太鼓のビートに背中を押されるし、吹奏楽が奏でるZARDの「負けないで」に折れかけた心が再び奮い立つ。
ZARDの「負けないで」効力あったわ!
あとよく憶えているのが、2年前に初めてウルトラマラソンを走ったレースでの応援だ。
同じ北海道とはいえ、オレの住む札幌から遠い遠い見知らぬ土地を、サロマ湖をぐるっと走るレースだ。
オレは1人で走っていた。
もちろん周りにランナーはいるけど、仲間や知り合いはいない。オレは1人で走っていた。
体力的に疲れるのはもちろんだが、見知らぬ土地、初めての距離を1人で走ることに心も疲れてくる。
ある場所で、いきなり名前を呼ばれた。「え?」と思った。だいぶ大袈裟に言えば「夢」かと思った。疲れて意識が朦朧としていたのかもしれない(笑)
たまたま他の人を応援に来ていた知り合いが、オレを見つけてくれたんだ。声をかけてくれただけで、こんなところに知り合いがいた、ってそれだけで元気が出たよね。
その人は、その後も移動しながら何度かオレを見つけて応援してくれた。
そのおかげで走り続けることができた。応援がうれしい、という気持ちより無様なところは見せられないというプレッシャーの方が大きかったのは、ここだけの話だよ(笑)
とはいっても、それもまた応援の力だ。
とはいっても、それもまた応援の力だ。
現地に出向かなくったって応援はできる。たとえば「応援ナビ」アプリだ。

→RUNNETの 応援naviの紹介ページ(外部サイト)
マラソン大会に出ている人なら知っていると思うけど、スマホにこのアプリを入れて名前を検索すれば、ほぼリアルタイムでレースの状況がわかる。それを見ながら応援だ。
もちろん、その応援は本人には届かないだろう。ある意味「祈り」だ。
しかし「祈り」なんかに効果がないと言ってしまったら、それもまたさみしい世界じゃないか。
レース後に「タイム見て応援してたよ」と言えば、次のレースへの活力になるかもしれないし。
しっかし考えてみれば、マラソン大会って個人情報もクソもあったもんじゃないよね(笑)
まぁ、タイムはともかく、大会パンフレットを見れば出場者の名前・性別・年齢・居住地なんかがズラリだもんね。まぁ、どこまでを個人情報というのかわからないけど。たぶんエントリー時にこれこれこういうのが載りますよ、って書いてあるんだと思うけど。
それが嫌なら大会に出るなって?そーですね!(笑)
ま、オレは別に何を隠すわけでもないから、え?帽子で頭隠してるだろって?うるせーボケ!隠してねーわ!てめーこのやろう!
失礼、ついつい暴言を。暑さ対策だよ、帽子は暑さ対策。
何の話だっけ。
先日のつくばマラソンに何人かの知り合いが出ていたんだ。その経過を「応援ナビ」で見て応援していたんだ。
自己ベストを狙って走るランナーが、予定通りにラップを刻んでいるのを見れば「やってるな!」と感心する。刺激をもらう。
35kmを過ぎて、何人かがラップを落としてしまった。「くそーここまでか!」と、自分のことのように悔しかった。と言えばちょっとウソっぽいが、いや、オレはそこまでいい人ではないので(笑)でも、やっぱりそれは残念なことだった。
残念だったけど、そのチャレンジを尊敬した。オレも挑戦しなければ!そんな刺激をもらった。
あと、いつかやってみたい応援は「私設エイド」だな。
あの勝手にコース沿いにテーブル並べてドリンクならべたりしてるやつ。勝手にっていったらアレだけど(笑)
でも、あれか。オレがテーブルに並べてるドリンクなんて誰も取ってくれないかもな。なんか毒入ってそうだもんね!
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コメント
コメント一覧 (6)
先日のつくば、数年ぶりに応援に行きました。35キロ手前でしたが、以前と違って、応援する人もそこそこ居て、自分の知り合い以外に「がんばれー」言っても、まわりから浮くことなく、ホッとしました。
コースはフラットだけど、ホスピタリティーに欠ける残念な大会なので、もう少し盛り上げたいところですが。
私なら、2箇所候補が!ドリンクの他にやりたいこと。
①15km地点くらいで、「本当にそのペースで持つか?!」ってプラカードを立てたい。
②37km地点くらいで、氷とスプレーを用意したい。
ホスピタリティーに欠ける・・・
あらら、そんな感じなんですね、つくば。
ガチランナーは多いと聞いたんですが、ギャラリーも含めてガチでマジな感じなんでしょうか。
一度走ってみたいな、とは思っているんですが怖いな(笑)
プラカードね!それはやりたい(笑)
結局自分に対するメッセージだよね。
オレだったら、40km地点くらいで「ビビるな時計を見ろ!」かな。
いつも「どうせ時計見て目標ギリのタイムだったとしても、これ以上スピード出せねーわ」って、ビビって時計見ないからオレ(笑)
ZARDの負けないでについて。
えぇ。わたくしもスマホにその曲を入れて1人フルマラソン大会時の35km過ぎてから聴いてみたですよ。
個人的な意見ですが…アレ聴いたらダメですよ。なんてゆうか『負けないで』なんてあの声で言われてもですよ?
なんか負けても許してくれそうな優しさを感じるじゃないですか?負けても優しく包み込んでくれそうじゃないですか?
もうね、即負けたくなりました。
だもんだからあの曲は走りながら聴くのは禁止にしました。
どうもです!
「負けても許してくれそうな優しさを感じるじゃないですか?」
確かに(笑)力みなぎる感じではないですね・・
ところでポルティさん、おもしろい文章書きますね!
たまにコメントお願いします(笑)