「吾輩は猫である。名前はまだない。」
言わずと知れた夏目漱石の小説「吾輩は猫である」の冒頭の一節だ。これ以上に有名な冒頭の一節をオレは知らない。多くの人がそうだと思う。
しかし、どうだ。その一方でそれ以外の部分を、だから、小説「吾輩は猫である」のストーリー全体を知っている人はどれだけいるだろう。思い切って言ってしまえば、こうなるのではないか。
誰も知らない。
誰も知らない。
異論はあるかもしれないが、オレの肌感ではそう思っている。
これを書くにあたって、周りの者何人かに聞いてみたが、やはり誰も知らなかった。いや、それはオマエが属するコミュニティーにインテリジェンスが不足しているだけだろ、そんな意見を持たれるかもしれない。確かにそうだ。だって、そもそもオレが知らないんだから(笑)だったら、こう言いなおそう。
ほとんど誰も知らない。
とにかく、多くの人は知らないと思うんだ。「吾輩は猫である」のストーリーを。これはある意味、悲劇と言っていいのではないか。
ここまで冒頭の一節が有名なのに、それに比べて、そのストーリー知っている人がほとんど誰もいないということは(オレの肌感で)
どうしてだろう。
たぶん、こうじゃないかな。「吾輩は猫である。名前はまだない。」を知っただけで、全体を知った気になっているんじゃないのかな。あまりにもインパクトのある冒頭の一節だけに。それだけで、読んだ気になっているというか。冒頭の一節が「全部を持っていった」と言えばいいかな。
そう考えると、本を書く上で、あまりインパクトのある冒頭の一節も考えものだ。
もちろん、そこで興味を持ってもらえなければ、その先を読んでもらえないのだから、ある程度のインパクトは必要だろう。しかし、そこで「全部を持っていかれる」ほどのインパクトはあってはならない。なぜなら、それを読んだだけで全体を知った気にさせてしまうかもしれないからだ。その先を読んでもえらえなければ、意味がない。
そんな悲劇がこの本「50を過ぎても速く!」に起きるんじゃないかと危惧している。
なぜならこの本の冒頭、かなりのインパクトを持った一節で始まるからだ。
オレは今年50歳になった。老化を感じないわけはない。実際、思うようにマラソンを走れない事も増えた。そんなことをブログに書いていたら、コメントでこの本のことを教えてもらったんだ。すぐに買ったよ。
だって、オレのためにあるような本じゃないか。「50を過ぎても速く!」だ。
サブタイトルに「50・60・70代になってもハイパフォーマンスを諦めない」なんて文言もある。是非とも、その方法を知りたいと思った。何歳になってもハイパフォーマンスを諦めないための方法を。
アマゾンのレビューを見ただけでは、この本の良し悪しはイマイチわからなかった。よくあることだ。ためになると書く人がいれば、買う必要はなかったと書く人もいる。どっちなんだ。しかし、オレは「老い」に打ち勝ってマラソンの自己ベスト記録をのばしていきたいと思っている。
とにかく、買ってみた。言ってみれば、ワラにもすがる思いでこの本を手にしたんだ。どうかオレを助けてくれ、と。「老い」に対する不安を解消してくれ、と。
しかし、その思いとはうらはらに、オレをさらに不安にさせるような言葉でこの本は始まる。こんな言葉だ。
アマゾンのレビューを見ただけでは、この本の良し悪しはイマイチわからなかった。よくあることだ。ためになると書く人がいれば、買う必要はなかったと書く人もいる。どっちなんだ。しかし、オレは「老い」に打ち勝ってマラソンの自己ベスト記録をのばしていきたいと思っている。
とにかく、買ってみた。言ってみれば、ワラにもすがる思いでこの本を手にしたんだ。どうかオレを助けてくれ、と。「老い」に対する不安を解消してくれ、と。
しかし、その思いとはうらはらに、オレをさらに不安にさせるような言葉でこの本は始まる。こんな言葉だ。
「私は70歳です。」
どういうことなんだ。こんないきなりな言葉で始まる本を、オレはかつて読んだことがない。言ってみれは著者の自己紹介だ。これを書いたとき、著者のジョー・フルーリなる人物は(誰だよ)確かに70歳だったのだろう。それにしても、いきなりだ。
「私は70歳です。」
いや、おかしいことはない。理にかなっている。やはり経験者の言葉に真実味はある。「私は5歳です」と言われるより、どれだけいいか。それにしてもだ。
「私は70歳です。」
いきなりすぎないか?
「歳をとると共に、パフォーマンスが低下していくのは当たり前だ。そうお考えの方は多いかもしれません。」みたいな無難な冒頭でもよかったはずだ。
人生の大先輩に向かってこんなことを言うのは大変に失礼かもしれないが、オレはその冒頭を読んだとき、とっさにこんなことを思ってしまったんだ。
「この本、大丈夫かよ?」
失礼かもしれないが、不安に思ってしまったんだからしょうがない。
そうなれば、次に続く言葉は重要だ。その言葉でこの本の方向性を見極めなければならない。「吾輩は猫である」の冒頭の一節でいうなら「名前はまだない。」の部分だ。ここは重要だ。
だってそうだろ?「吾輩は猫である。」に続く言葉が「名前はタマという。」だったら、まったく別の物語になってしまうじゃないか。日曜夕方のあの物語だ。次に続く言葉は重要だ。
果たして「私は70歳です。」に続く言葉はどんな方向性を示してくれるのか。
「さあ、言ってしまいました。」
そうきたか。
私は70歳です。
さあ、言ってしまいました。
ナメてんのか?そう思った。そんな投げやりな冒頭があるだろうか。「知らねーよ」そう思うしかなかった。オレの不安は増すばかりだ。とにかく、この本の著者ジョー・フルーリは(誰だよ)70歳という年齢を重く受け止めているようなんだ。70歳になったとき「本当に年寄りだと感じたのです。」と書いている。そして80代をどうスタートさせるかで、半年も考え込んだというから驚く。
私は70歳です。
さあ、言ってしまいました。
ナメてんのか?そう思った。そんな投げやりな冒頭があるだろうか。「知らねーよ」そう思うしかなかった。オレの不安は増すばかりだ。とにかく、この本の著者ジョー・フルーリは(誰だよ)70歳という年齢を重く受け止めているようなんだ。70歳になったとき「本当に年寄りだと感じたのです。」と書いている。そして80代をどうスタートさせるかで、半年も考え込んだというから驚く。
歳をとるのは恐ろしいことなんだな。オレはこの本の冒頭をったったの数行読んだだけで、その恐ろしさを思い知ることになった。
だって、半年も考え込むんだぜ?70歳のときに80歳のことを考えて。恐ろしいな。
もちろん、その考え込んだ暁に、「老い」に打ち勝つ方法を見つけることができたんだろう。何歳になってもハイパフォーマンスを諦めないための方法を。
きっとそれがこの本には書かれているはずだ。しっかり読み進めたいと思う。
しかし、だ。読了するには、けっこう苦戦するかもしれない。パラパラっと本の中身を見たとき、こう思ったんだ。
文字が多い。
バカな感想で申し訳ないが、そう思った。一応、オレは本を読むのは得意な方だと思っている。でも、なんていうか、こういう運動メソッド系の本って、イラストなりグラフなり写真が多いイメージがあるじゃない。
文字だらけなんだ。
ホントにバカな感想で申し訳ない。
そして、印刷文字が大きくない。小さいとまではいかないが、大きくない。加えて、部分的に背景色がグレーになっているページがあるのだが(けっこうある)そこがすこぶる読みづらい。
さらには左開きの横書きには、あまり慣れていない。中を見ないで買うとこういうこともあるんだな。極めつけは、こんなことも思ってしまった。
ページめくるのめんどくせーな。
いやいや、これは本にはまったく罪はないのだけれど、オレは最近、すっかり電子書籍派になってしまったんだ。主にキンドルで読んでいる。この本にキンドル版はなかった。
数か月前まで「やっぱり本は紙でしょ」派だったので、まさかそんなことを思う日がくると思わなかった。単純に、この本が大きめの(っていっても普通だけど)単行本だから、そう思ったのかもしれない。文庫本だったら、そんなこと思わないので。今のところ。
でも、ホント慣れてしまえば読むの楽なんだよ、電子書籍。オススメです。
しかし、それらは老眼も含めて「老化」からくる困難かもしれない。
走る前にそれか。本の読み方か。それも合わせて「老い」に打ち勝っていかなければならない。そう思った。
これから何度かに分けて「50を過ぎても速く!」を読み解いていきたいと思う。そして、この先何歳になっても、ずっと走り続けていく術を身に着けたいと思う。そういうことが、わかりやすく書いてあればいいんだけど。どうなんだろう。なんせ
私は70歳です。
さあ、言ってしまいました。
で、始まる本だ。不安はある。どうしよう、途中で「私は71歳になりました」なんて言われたら。もちろん、「またまた、言ってしまいました。」と続くことだろう。それはやめてくれ。
まぁ、まずは読んでみるよ。
私は70歳です。
さあ、言ってしまいました。
で、始まる本だ。不安はある。どうしよう、途中で「私は71歳になりました」なんて言われたら。もちろん、「またまた、言ってしまいました。」と続くことだろう。それはやめてくれ。
まぁ、まずは読んでみるよ。
ちなみに、気づいている人もいると思うが、まだ1ページも読み終わっていない。
関連記事
関連記事
Follow @shibu_ken
スポンサーリンク
コメント
コメント一覧 (17)
面白すぎです笑笑
その2楽しみにしてます〜
そして、この本表紙がロードバイクですけどランニングのお話も出てくる・・・んですよね。
あ、やっぱりバレてました?(笑)
この調子でいくと、読み終えるのに何年かかるかわかったもんじゃないので、がんばって読みます。でも、文字、多いんだよな~(笑)
ありましたね、このパターン(笑)
持久系スポーツ全般について書かれてるみたいですが・・
まだ、ほとんど読んでいないのでわかりません(笑)
んなわけないでしょ!
とりあえず、がんばって早めに読むわ(笑)
自分の走力を把握して、如何に少しづつ負荷を上げるか。毎日1時間でいい。いや、むしろ長いのをやってはいけない。20kmを超えるロングは3か月にいっぺんでいい。「走力確認するために」
走力の年齢の限界は恐らく63歳くらいかな。練習さえ間違えなければ。「怪我するようなトレーニングは高齢者には命取り」
自己の限界を決めるのは、メンタル。言い訳の心地良さを選ぶか否か。「その心地良さを選んで大いなる満足を捨てるのも人生」
愉しいから、走り続けるだけなんですよ。
走るモチベーションアップありがとう
いろいろ勉強になる言葉をありがとうございます。
中でも「ノンビリ走力を上げています。」が印象的でした。
フィジカルなトレーニングはもちろん大切ですが、それ以上に心の余裕も大切ですよね。
そうですか、走力の年齢の限界は63歳くらいとお考えですか。これを見て「BORN TO RUN」の一節を思い出しました。「19歳で走り始めたとして26歳でピークを迎え、そして19歳のレベルにもどるのは64歳のとき」確かにそう書いてありました。納得です。
もう一つ、こんな一節もありました。「人は老いるから走れなくなるのではない。走るのをやめるから老いるんだ」
実践する人がここにいた!そう思いました。私もまだまだヒヨッコですね(笑)走り続けてみようと思います!
おもろかった?(笑)そう思ってもらうのが一番です。よかった。
そう言ってもらうと、私もモチベーション上がります!
どんどん通り越してください(笑)
レスが遅くなり申し訳ありません。走り始めてから5年後にこの練習法にたどりつきました。「とにかく、怪我をしない程度に負荷をかけるトレーニングを継続すること」
https://runners-core.jp/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%8A%E5%BD%B9%E7%AB%8B%E3%81%A1%E6%83%85%E5%A0%B1/7684/
ありがとうございます。
でも、カット&ペーストしたつもりなのですが、リンク先にうまく行けませんでした。
「Zwift+Strydの合せ技でランニングマシンでも飽きずに効率よくトレーニングできる」の記事ではないですよね。
因みにワタシは所謂老人用「忍者走り」です。「為末大学50歳以降の走り、でやっていました」
https://gamp-ameblo-jp.cdn.ampproject.org/v/s/gamp.ameblo.jp/sexycat7777777/entry-12587306887.html?amp_js_v=a6&_gsa=1&usqp=mq331AQKKAFQArABIIACAw%3D%3D#aoh=16386326762158&referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&_tf=%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9%3A%20%251%24s
ありがとうございます。こちらのブログ(端野さんのブログとういうわけではないですよね。)で紹介されている福澤式がお勧めということですよね。ぱっと見、ユルそうなメニュ-と感じましたが、かえって発想の転換が必要なのかもしれないです。キンドル版購入しました。とにかく勉強してみます。
(シブケンさん、ほんとに通り越してやり取りさせて頂いております。)
いやいいけど、直にやり取りした方が楽じゃないの?(笑)