読書が苦手、という人はこんな思い込みがないだろうか。
「本は1ページ目から順番に、最後まで読まなければ読了したことにならない」
確かに、文字通り隅から隅まで1文字も逃さず読み切ることを「読了」とすれば、そうなるかもしれない。しかし、別に読書は文字を読む競技ではないんだ。その本から何かを得ることを目的に読むのが「読書」ではないだろうか。
専門書を読んで、今まで知らなかった知識を得るのもいい。小説を読んで感動を得るのもいい。フザけたエッセイを読んで笑うのもいい。それは読書によって楽しい時間を得る、ということだ。
だから、本なんて(なんて、っていうのも失礼だが)、全部読まなくたっていいんだよ。何ページか読んだ中で、なにか一つでも得ることができれば、それは立派な「読了」だ。いずれ全部読んだところで、時間が経てば、憶えていることなんて一つか二つだ。オレがバカなだけかもしれないが(笑)。それどころか、時間をかけて全部読んだところで、何一つ得られない本だってあるんだから。それはあくまでも本の問題じゃなくて、自分の問題なんだけど。
1ページ目から順番に読まなければならない、そんなルールのもとで読むと、どうしても1ページ目から先に進まないことがある。
哲学書などの内容が難解なもの。海外作品の翻訳作品に出てくる登場人物の名前が馴染みがない上に、長すぎて憶えられないもの。情景がまったく頭に浮かばない小洒落た小説の導入部。
どうしても先に進まない。
読書が苦手、という人はその時点で自分を無能だと思ってしまう。日本人だというのに、日本語も理解できないのか俺は、なんて。
違うんだ。たまたま自分に合わなかっただけなんだ。言ってしまえば好き嫌いの問題だ。そんな本はさっさと読むのをやめてしまえばいい。いや、でも、せっかく買ったんだから読まなきゃもったいないでしょ。そう思うかもしれない。
サンクコスト効果について学んだ方がいいかもしれない。
サンクコスト効果とは・・過去に投資したもの(本を買ったお金)は、すでに回収不可能なのに、それを取り戻すために、さらに投資(例えば本を読む時間)を続けてしまう心理効果のことだ。本を読んでも読まなくても、それを買ったお金はもどってこないというのに。(解釈違ってたらゴメンなさい)
どうしてもその本を読むことが困難だと判断したら、損失を最小限に食い止めるために、さっさと読むのをやめるべきだ。中古品としてメルカリなんかで売ってしまうのもいいかもしれないね。
多くの人に支持されているどんな名著でも、100%の人がおもしろく読めるとは限らないんだ。
それは、たとえばオレにとってのハリーポッターだ。
その昔、ハリーポッターの1作目「ハリーポッターと賢者の石」の翻訳版が日本で発売されてブームになったときだ。オレはある人にその本を借りたんだ。いや、借りて「しまった」んだ。
昔の職場の同僚に、だ。特に親しい間柄ではなかった。たまたま雑談中に、お互い小説を読むのが好きだという話になって。だったら、すごく面白い小説があるんですよ、今度持ってきますね、という話になって。
「ハリーポッターと賢者の石」だった。
ハリーポッターシリーズは名作に違いないだろう。いや、比類なき世界的ベストセラー小説といっていい。映画もヒットしたし、テーマパークも作られた。世界中で楽しまれている小説だ。
だけど、オレは魔法使いの物語に興味はないんだ。元からファンタジーな物語を楽しめないタチだった。今もそうだが。
「ハリーポッターと賢者の石」を読み始めて、なんだか知らないが、壁をすり抜けるにはどうすればいいかみたいな場面から(うろ覚えです)一向にページが進まなくなった。何がおもしろいのかわからなかった。好きな人はゴメンなさいね。単に好き嫌いの問題なので許してほしい。
それから苦痛の日々が始まった。
「ハリーポッター読まなきゃ・・ハリーポッター読まなきゃ・・」日常のあらゆる場面で、そんなことを思った。だって、せっかく「すごく面白い小説があるんですよ」って言って貸してくれたんだ。そして、そこまで親しくない同僚だ。
なんとか読んで感想を言わなければならない。国語の苦手な小学生の読書感想文よろしく「とてもおもしろかったです」じゃ、格好がつかないだろう。
こんな時に使える読書テクニックは、「最後を読む」だ。
最後の方に書いてあることに対して感想を言えばいい。それで全部読んだことになる。(なるのか?)敵も、失礼、本を貸してくれた人も、まさか最後「しか」読んでないとは思わないだろう。
実は、このテクニック(テクニック言うな)は、最初の数ページを読んで、おもしろくないと思った小説でも、もしかしたら最初から全部読んでみたいと思えるテクニックなんだ。
最後だけ読むと、どうしてこうなった?なんて結末があって。じゃあ、読んでみようか、ってなることが稀にある。稀にだよ。
最初の数ページを読んで、おもしろくないと思った小説は、ほとんどおもしろくないまま終わることはよく知られている。
もうひとつ、全部読むのが大変だな、と思った本を効率よく読むテクニックがある。小説よりも、実用書なんかに使えるテクニックだ。
まず、目次をじっくり見るんだ。
そして、気になる項目から読めばいい。気になる項目「だけ」読んだっていい。
繰り返すが、別に本を買ったからって、最初から最後まで全部読むのが正しい読書ではない。「何か一つでも得るものがあれば」それは立派な読書だ。読了だ。
さて、「50を過ぎても速く!」だ。どうやって読もうか。
前回のブログ「【老いに負けない】「50を過ぎても速く!」を読み解く(その1)」では
この本が、とても文字が多くて読了に苦戦するかもしれない、というようなバカな感想を述べてしまった。まだ、1ページも読んでいないというのに。
そうだな、まず、目次を見てみよう。
第1章から第8章まであるようだ。そして、その章ごとに「コラム」がある。どうやら、今、シニアアスリートとして活躍する人のコラムらしい。
・競技の機材と加齢
・持久性運動と心臓
・物忘れも悪くない
・回復とクロストレーニング
などなどのコラムタイトルを見ることができる。
シニアアスリートの実際を知ることで、きっと何かを得ることができるだろう。まずは、そのタイトルが気になる「物忘れも悪くない」を読んでみようか。
このコラムを書いているのはリサ・レインズバーガーだ。
過去にボストンマラソンや北海道マラソン!で優勝経験のある長距離ランナーだ。現在(このコラムを書いた当時)52歳でシニアアスリートとして競技を続けているという。
リサ・レインズバーガーは言う。
シニアアスリートとして考えなければならないことは「過去に、自分にできたこと」ではなく「今、自分にできること」
だと。
十分だ。これを知っただけで、オレは大きなものを得たよ。なので、「50を過ぎても速く!」はこれにて読了!
とはならないな(笑)
いや、ほかのコラムもおもしろそうなんだよ。まず、それらを読んで、調子が出てきたら本編も読んでみようか。
本の読み方はいろいろ、だ。
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